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真冬に裸足で逃げる。。

  28, 2016 15:50
。゚(゚´Д`゚)゚。 今まで 生きてい、一番辛かった 10歳位のころ

生きるのが辛いせいか いつも下を向いて歩いていました。。

学校でも友達は少なく 一人本を 読んでいるか グラウンドに行っても

みんなが楽しそうに遊んでいるのを ボーーと眺めたり

土を堀ほり、絵を描いて 想像の世界で遊んでいました。。

記憶は ハッキリしているのと、忘れている記憶がありますが

ある日、恐ろしい留守番の日があり 顔面を殴られ

みぞおちを、兄に「我慢すれよ、」と言われて何度も

パンチされて、痛くてうずぐまる、私は 「もう、やめてぇー」 と懇願したのに

今度は うずくまっている背中を ガンガン蹴ってきました!!殺される!?

私は、本気で そう思い 真冬の夜に 裸足で逃げました!!

兄は 追っては来ませんが しばらく 小走りに走り 暴力から逃れたこと

に ホットして、どこまで来たか 辺りを見渡す余裕が出てきたとき

息は白く 走っていたので白い吐息の中に、しばらく立っていました。

裸足でも しばらく 冷たく感じず、これからどうしようかと。。考えていました。。

やはり 時間は 解らないけれど 近所の誰かに助けてもらいたい。゚(゚´Д`゚)゚。

一番は 母に 見つけられて 助けてもらいたい。そう思いながら、そろり そろり

雪の上を歩きました。この時の 素足で逃げる経験が 印象的なのか

何度も 今でも 素足で 外を歩く夢、裸同然の格好で 外を何故か歩いている夢を

見ます。。。(因みに私の 夢は カラーで 匂いや 感触もある 超リアルな夢です。。)

足が冷たくなったせいか、解りませんが 家に帰る事にしました。。 (>_<)

帰って 兄が 驚いた顔で何か言っていたようですが 覚えていません。。。

このことを期に 暴力は 少なくなり プロレスの技を かけられて泣くパターンに

なり、私にしてみると 随分 楽な 暴力になりました。楽な暴力!?他に表現が見つかりません。。

兄は 丁度インベーダーゲームにはまり 不良のように毎日 ゲーセンで

ゲームをして、お金が無くなると 母に貰い、それでも足りないときは

私の お小遣いを「かりるぜー!!」

と勝手に持って行きました。そのことに関しては 何も感じていません。

家にも 当時 高級だったインベーダーゲームや様々なゲーム、

兄は、欲しい物は しつこく両親にねだり ほぼ100%買って貰っていました。

私は 自分の家が 裕福とは 思えなかったので ただの一度も 買ってほしいと

両親に言った事がありません。 それは お小遣いや お年玉を 貰って

好きな 本や レコードを買い とても満足していたからだと思います。

兄の 欲求がゲームに没頭している時期は 助かりました。。

私への 性暴力が しばらくなかったからです。。

でも、来ました。。。。。

また 恐怖の留守番の日に。。 全裸にされてしまい

外に逃げ出さないように 首を脚で絞められて

「今度逃げたら 殺す!!」 と笑って いる鬼畜兄。

プロレスの技をかけられた痛みよりも 全裸にさせられて

脚を広げろ!!と命令された時は 全力で 抵抗しました(´;ω;`)ウゥゥ

兄とは年子で 体格は 同じくらいだったから 力は 五分五分だったようで

鬼畜兄の言いなりには なりませんでしたが、今度は 罵倒が始まりました。

ペチャパイ!!、尻でか!! 頭悪い!!ブス!! (まだ4年生から5年生の初めだから胸はない)

無視して服を着ようと すると まだ暴力で。。とうとう 根負けしてしまいました。。(´;ω;`)ウゥゥ

そして 毎日 言われたら 何と!! キスをしなければ ならない約束をさせられてしまい、

これを しないと あの「死刑!!」と言う 言葉の呪縛に囚われてしまいました。。。

苦痛の毎日。。もう本当に 死んでしまいたい。。どうしていいか本当の解らなくなりました。。

毎晩 泣いていました。このまま、エスカレートしていけば↓

私は どうなるのか 怖くて怖くて、生きた心地がしませんでした。。

春になったら 。。桜を見たら死のうと思うようになりました。。

兄からの 命令の キスは 毎日で 日に 数回もある日も。。

つづく。。。



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